歪み

自分で言うのも些か可笑しいかも知れないが 私は少々「変わり者」である

それは自覚している事でもありしばしば世間からもそう評価をされる

私は今までその事について大して深く考えた事は無かった

世の中にはそれこそ大勢の人がいて それぞれ異なる個性があり その全ての人と併せて生きる事な出来はしない

気の合う人は合うし 合わない人は合わないし 変わり者って思われても不自由を感じる事は無いのだから

しかしここ数日 今の自分が何なのかよくわからない その為今の自分を知るために 過去の自分を振り返り 自分の軌跡を辿り 再び自分と深く向き合う そんな事を繰り返す

いわゆる自分を自分で再認知しようとしているのだ

こうやって客観的視点から自分を深く掘り下げると なぜ自分は「変わり者」なのか少しわかった気がする

言葉で説明するには私にはボキャブラリーが足りずうまく表現できる自信は無いが

例えば私は 私がどうしたいか? が大切なのではなく 相手がどうしたいか? の方が重要なのだ そしてそれを受容できた時に幸せを感じる

求めるより与える事に幸せを感じるのだ

その為に例え自己犠牲を払っても誰かの為に力になれるにならそれを厭わない

そしてそれで誰かが幸せになるのであればそれが幸せなのだと

おそらく本気で思いながら生きてきた

しかしきっとそれが間違いだ

本当は自分が求めている事があり 自分が欲する事が満たされる事が幸せなのだ

そして心の深淵ではそう願っていたのだと思う

その部分に今まで自分で触れて来なかったのはおそらく「恐れ」からでは無いかと気付いた

願いが叶わなかった時への「恐れ」 自己主張をして相手と対立する「恐れ」 他者に理解されず拒絶される「恐れ」

それらの「恐れ」から逃げる為に おそらくは自分の為では無く誰かの為にと生きる事が幸せと陶酔していたのだ

そうする事でその逃げる行為は自分の中で正当化されていた

しかしそれが間違いだったのだ そうする事により心の深淵に押し込めた想いと現実と少しづつ歪みが生まれていた

その歪みは少しづつ成長し長い年月をかけ そして弾けた

それが今の私だ

気付くのが少々遅かった 何もかもを失った今となっては

私が今すべき事はこの弾けた歪みの清算と 壊れた自分の修復なのだろう